ウオッチマン・ニー、ウイットネス・リー著書を出版する書房 JGW日本福音書房




霊の解放:
外なる人が砕かれて霊が解放される

神に仕えることの基本的な学課

 『霊の解放』は、ウォッチマン・ニー兄弟の晩年の務めの中で極めて重要な著作であり、キリストのすべてのしもべが学ぶべき基本的な学課を述べています。それは、主によって外なる人が砕かれて、内側にある霊が出て来ることができるようになるということです。
 ニー兄弟は、聖書が人を内なる人と外なる人とに分けていることを示しています(Uコリント4:16)。わたしたちが再生された時、神はわたしたちの内側にひとりの人を生まれさせました。神が内側に住んでいるこの人が、内なる人であり、再生された霊がその命とパースンです。神はご自身の霊、命、性質、すべての豊富を、みなわたしたちの内なる人の中に置かれました。わたしたちの内なる人は、あたかも衣服を着るように外なる人を着ています。この外なる人には、わたしたちの思い、意志、感情があり、最も外側には体があります。わたしたちの内なる人は、監禁されている人であり、わたしたちの霊は覆われており、簡単には出てくることができません。ですから、わたしたちの外なる人が壊され、砕かれることによって、内なる人が出てくる道が開かれるのです。
 これはちょうど、一粒の麦が地に落ちて死に、殻が砕けて、はじめて麦の芽が出てくるようなものです(ヨハネ12:24)。また、高価で純粋なナルドの香油を入れた石膏のつぼが砕かれなければ、香油が出て来ることのできないようなものです(マルコ14:3)。今日、主は教会を祝福されないのではなく、主の命が全地を満たすことができないのでもなく、主の尊い香油が注ぎ出されるのを主が願われないわけでもありません。わたしたちのこの外なる人、わたしたちの硬い外側の殻、わたしたちの石膏のつぼが、砕かれることを拒み、主を閉じ込め、監禁し、縛り付け、包囲し、制限しているのです。ですから、主の目的はいつも、外なる人を砕き、壊して、内なる人の命、力を解放することなのです。
 人は砕かれていなくても奉仕することができるかのようですが、結果は全く異なります。「命を与えるのはその霊である」(ヨハネ6:63前半)。わたしたちは人の思想、知恵、熱情、才能、あるいは知識、教理、神学、理論に頼っている限り、神にまみえることはできません。霊を出て来させ、人の霊に到達させ、人の霊に触れさせることによってのみ、罪人は再生されることができ、信者は供給を受け、成就され、建造されることができるのです。
 本書はさらに深く掘り下げてわたしたちを助け、無条件に何も保留せずに神に献身することを通して、聖霊の管理を増し加えさせ、外なる人の破壊と砕きを経験させます。また聖霊の啓示を通して、外なる人から内なる人を完全に分離させ、わたしたちの霊を容易に、しかも自由に出て来るようにさせます。そして純粋で、清く、自分の意図に汚されないようにします。
 神に砕かれた人はみな、柔和な人に変わってしまうという一つの基本的な特徴があります。柔和な人は、容易に対処を受け入れることができ、人の意見を受け入れることができ、容易に語ることができ、容易に求めることができ、容易に罪を告白することができ、容易に涙を流すことができる人です。柔和な人は、容易に感覚を持つことができ、容易に他の人の感覚、からだの感覚、教会の感覚に触れることができる人です。さらにまた、容易に霊を開いて、人の供給と成就を受けることができます。他の人の助けを多く、また広く受け入れることができればできるほど、その人が砕かれた人であることをさらに証明します。
 外なる人が砕かれることによって、はじめて内なる人が自由になることができます。これが神に仕える上での基本的な学課と道です。わたしたちは共にこの道を歩みましょう!

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